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2012年07月28日

宗教ってなんだろう?

沖宮での教えの中に「宗教とは、本来道徳的内容(正しい行い)を持つもので、御先祖の上の御祖神(みおや)を尊び祀る御教えである」とあります。
御祖神を祀る道には以下のように三代階があります。

神世(上世)・・神である遠い先祖を神社に祀る
御世[仏](中世)・・十二支の使命を持たれた徳の高い御親(みおや)=(使命者)を寺や観音堂に祀る
先祖(今世)・・各家庭に祀る

以上、神世(かみゆ)が最初にあって、次に御世(うゆう)、そして先祖、子孫へと広がり、代々の御先祖が世継家継ぎをしてこられた…。その事が万世一系の親を祀る祖先崇拝の尊い伝道であるのです。

ちなみに御嶽とは、神世が鎮まれる神地(根源)であり、嶽々とは、御世、つまり徳の高い御親が鎮まっている聖地(根源)であり、区別されています。それらは、造って拝むというものではなく、尊い場所であるため自然に拝まされているのです。神の使命を持たれた尊い御親たちが、神の恵みを頂き、万物を造り出された功績を称え、神に感謝の気持ちを捧げる所が神社や寺なのです。つまり、御嶽・嶽々は、根であり、その神仏霊を招き奉るのが神社・寺であり、神社・権現堂・寺は、表の道理で、御嶽・嶽々は裏の道理、すなわち奥宮であり、表裏 一体をなすのです。例えば、お墓は裏の道理で、お仏壇は、表の道理として祀られているのと同じ意味があります。
御嶽・嶽々は、季節季節の拝みや祈願の必要がある場合に拝むべき地所でありますが、御祖神は、毎日拝まねばなりません。神世は神社で神主、御世は寺や観音堂で僧侶が毎日お供え物をしてご奉仕することによって、人々がいつでも気軽に参拝するだけで御祖神は喜ばれ、そのお喜びが御光となって人々にご神徳を授けてくださるのです。皆様が、自宅において先祖に毎日お仏壇にお茶・線香をお供えし、祈りを捧げるのと同じですね。
一般に神社の成り立ちとして、古代の人々は、神様は一つのところにいつもいらっしゃるわけではなく、お祭りなどの時に木々や山・岩などにお呼びして来て頂くものと思っていました。そのために、お祭りの時には、木や山・岩の前に祭壇を設けて神様をお迎えし、終わると神様をお送りしました。その祭壇が臨時の建物に変化し最初はお祭りごとに撤去されていましたが、やがて、いつも神様が鎮座される神社へと発展していったと言われています。
しかし、これまでのご説明通り沖宮では、天燈山御嶽(裏の道理)の麓に神社が表の道理として神世をお祀りし、そして同宮境内地にある権現堂(表の道理)にて御世(仏様)をお祀りしているのは、そのような教えからきているのです。
 有名サッカー選手が、引退後、自分探しの旅に、世界中をまわっていることが話題になりました。外に出ることによって、自分と向き合うこともとても素晴らしいことです。一方、内側を掘り下げることも大切です。自分を探すということは、突きつめれば先に生きた人々をたどることになるのではないでしょうか。親の親の親の……と、ずっとたどっていくと、先人がなければ今ここに自分がいることはないということがわかります。
今、在ることに感謝する気持ちこそ、大切なのです。



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Posted by 琉球の祭典 at 13:31 │沖宮(おきのぐう)