沖宮の歴史の始まり

琉球の祭典

2012年05月11日 07:45

ハイサイ!みなさんお元気ですか?
今回は私がご奉仕させていただいている沖宮の歴史の概略について、ひもといてみましょう。
琉球八社の一つ沖宮の創建は、尚金福王の時代である1451年という記録があります。江戸城築城が1457年で、コロンブスがアメリカ大陸に到達したのが1492年ですから、同じ世紀の出来事と考えると遥かなる歴史に感慨を覚えます。
1713年琉球王府発刊の「琉球王国由来記」によると大昔、那覇港内で不思議に輝くものを国王が首里城よりご覧になり、漁夫に命じて探らせると、尋常ならざる古木を得たそうです。翌夜より水面が輝くことがなかったので、この地に宮社を建て古木をお祀りし、以後、国王始め一般の尊崇をあつめ、特に中国往来の進貢船や薩摩往来の貢船、離島航路などの航海安全の祈願に尊信されたということです。
日々ご奉仕させていただいている我が沖宮の歴史を顧りみる時、とくにこの成り立ちの逸話には感慨を覚えずにはいられません。
また、 旅の無事を祈る琉球舞踊、「上り口説(ヌブイクドウチ)」の歌詞の一節「沖ヌ側マディ親子兄弟連リティ別ユル…」とある「沖」は、実は沖宮のことなんです。琉球の王様をはじめ、江戸方面へ上る多くの人々が、よき旅となるよう沖宮へご参詣された情景に思いを馳せると、ご奉仕させていただいている我が身に、責任の重さを再認識してしまいます。

さて、沖宮は、創建当時、現在の那覇港にありました。明治41年、築港工事の為、琉球八社の一つ安里八幡宮の境内地隣域に遷座されました。その古式ゆかしい本殿は、昭和13年伊東忠太(いとうちゅうた)博士の推挙により国宝に指定されますが、第二次世界大戦により焼失してしまいました。誠に残念なことです。

周煌『琉球国志略』首巻より転載

沖縄戦焼失以前の沖宮本殿(安里八幡宮敷地内) 
 
戦後、昭和36年に通堂町へ仮遷座し、昭和50年奥武山公園内へ遷座し現在に至りますが、復興するまでの道程には、神様のお力と思える多くの不思議な出来事が起こるわけです。それについては、これからこのブログにて、じっくりとお話したいと考えております。どうぞ、お楽しみに!

 ◇ お知らせ ◇
今月の天燈会 其の八は、ブルースギターリストデビットラルストンのステージです。 
デビットさんは、アメリカインディアナ州出身で沖縄へ移り住みもう20年になるそうです。 
普段は米軍基地内でカウンセラーとして活躍している異色なミュージシャンなんです。
これまでの天燈会に出演していただいた近藤房之助さん、セーンジャーさん、もデビットさんが繋げたご縁なんですよ。
音楽を通じて沖縄と世界を繋げる大きなお役目がある方だと感じております。
今回は初のデビット ラルストンバンドステージを8枚目のCD発売を記念して沖宮境内で行います。 乞うご期待!
 5月26日(土)開場18:30  開演 19:00 前売2,000円 当日2,500円 
         お問合せ先ーOffice-hiro1021 080-3172-9230

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